日本人には難しい?;スポーツフィッシングの話

先日、素晴らしい記事を読んだので刺激を受けて本稿を書いています。その記事というのは今江克隆さんのこちらの文章。

今江克隆のルアーニュースクラブR「どうなる?ライブスコープ規制!どうなる?バスフィッシングトーナメント!」の巻 第1211回

出典:LureNewsR

バスフィッシングはフォロー外という方へ簡単に要約すると、バストーナメントにおいて最先端の魚眼探知機であるライブスコープが制限を受ける見通しとなり、それを受けて旧来の釣りの復権になると考える人も出てきているが、全く逆である、ライブスコープは技術と体力を要する機器であるから、むしろ制限により熟練度が反映されやすくなりスポーツとしての競技が深化する、という見解が示されています。

私が感激したのは、釣りの世界にこんなにもスポーツのことをわかっている人がいたのか、という発見。

そもそもスポーツというのは英語圏の概念であり、日本には相当する概念がない(と思われていた)ため、そのままスポーツと呼ばれているのですが、それはつまり、日本人にはスポーツがわからない、という絶望的な文化の敗北でもあるわけです。

ともすれば「スポーツは運動のことでしょ?」と勘違いしている人は少なくないかと思います(ちなみに運動はアスレチックスです)。これについては、チェスなどの頭脳のスポーツや、デジタルゲームによるe-スポーツもあるので、さすがに勘違いは減っていると思います。しかし、何を持ってしてスポーツなのか、そこを理解している人は稀なように思います。

スポーツは、見えないし、触れもしない、概念です。でも実は、日本人にも簡単に理解できるフレーズがあるんです。それは「神様に捧げる行為」です。日本古来のものでいえば神前相撲がまさにスポーツです。

つまりスポーツとは、人間が創造主に対して、限界を超えてみせること、成長の到達点を見せること、です。フレーズは文化や宗教によっても変化しますが、要点は、自らよりも偉大な存在に対して自らの全力を尽くす表現行為のことと理解して差し支えありません

この点を押さえればスポーツに関するニュースを読むのは簡単です。冒頭のバストーナメントの話題でいえば、あらゆるスポーツには、人類が到達点を更新したことを示すための競技ルールが必要であるから、ライブスコープを使って優勝しても過去の優勝者を超えたことにはならないため、ライブスコープの制限は妥当だとわかります。

そう、人類の到達点の更新とは、過去の偉人を超えることを意味します。だから道具が便利になったから記録を更新できたというのではダメなのです。速く走れるシューズや速く泳げる水着が問題視されたのも同じ理由です。ただし、スポーツに用いるテクノロジーは必ずしもローテクである必要はなく、皆が同じ道具を持てることのほうが大切です。

その上で、道具を増やすことにより複雑さが増すのであればウェルカムです。ライブスコープの制限でいえば、持ちすぎな人は手放す選択が生じ、そのお下がり品によって、まだ持っていない人は手に入れやすくなるはずです。そのようにして装備品の標準化が起きれば、むしろ競技としての次のフェーズに進むことになるだろうと思います。

ちなみに、ヨーロッパのパイクフィッシングでは、連戦の中でレギュレーションが変化するものもあります。1戦目は魚探不可、2戦目は魚探あり、というようなものです。競技時間が変化するものもあったかもしれません。もしかすると、ヨーロッパには自転車競技のロードレースがあるから、日によってレギュレーションが異なることがエキサイティングな結果になることを熟知しているからではないかと想像します。

日本の釣りに話を戻しますと、どうしてもスポーツフィッシングは理解されていません。食べるために釣ることが自然な行為であると捉えられているからだと思います。昔の日本では日々の糧として野生の動植物を採捕することは当たり前だったと考えられているからかもしれません。

ところ変わって欧米の法律では野生動物にも所有者がいるため、勝手に釣って持ち帰ることはできません。また、そもそも欧州の釣りは漁業でなく貴族の狩猟から始まっているからか、食べることは目的ではありません。

もともと狩猟はハンティングではなくゲームと言います。貴族がやっていた腕試しのことをゲームと呼び、様々な想定とルールがあるのです。例えば、戦場で敵の騎士を射る想定で鹿を射る、というような腕試し(ゲーム)をしたわけです。弓のトレーニングは城内でしますが、その試験として動く的である動物を射ることをゲームと呼んでいたのですね。また、ある時は、頭の良さを試すためにチェスをして、これはトレーニングじゃない、ゲーム(試験)だ、なんて言うわけです。ゲームとは、本気で取り組まねばならない程度の困難さを持つものです。

さて、脱線しかかってますが、実は日本の法律でも、野生の動植物の採捕には免許が必要です。欧米の法律を参考に作られたので当然といえば当然。ただ、釣りに関しては遊漁といって、個人のレジャーの範疇であり、かつ、免許のある人の邪魔をしないなら、釣りをしてもよいということになってます。ついでに言うと、国内の水面はほぼ全て漁業権が設定されているため、どこであれ勝手に釣りをする行為は罰金(20万円以下)のリスクがあります。これは罰金刑なので前科がつくものです。会社によっては懲戒処分でしょう。

少し怖いことを書きましたが、これは欧米でも同じ。だからこそリリースが当たり前です。日本でも本当はリリースすべきなのです。漁業者が見逃してくれてるだけです。欧米では、この見逃しをせず、権利侵害でお金を取るし、釣りをする権利を売ってお金を得ます。魚をとって魚を売るだけじゃなく、権利そのものを商品にしているんですね。日本で同様のことをしているのはバスとトラウトくらいです。

日本にもスポーツフィッシングが定着すれば、漁業者は魚を売ること以外でも収入を得られるようになります。そのヒントは国内のバストーナメントにも垣間見えていて、ますますこういったニュースから目を離せないなと思いました。ただ、転換を迎えるためには、旧来の釣りに関する慣習に染まっていない、新しい世代の釣り人が必要です。長い年月がかかるでしょうね。まずは、様々な角度から釣りの大会が開かれて、それが一般化したら楽しいでしょうね。そんなことを想像したらワクワクします。だって日本では、バスフィッシングでさえゲームの領域を少し出たくらいでしかなく、スポーツフィッシングの時代はまだ始まっていないのですから。