冬の日本海らしく悪天候が多くなってきた。ムラソイを釣ってからというもの、なんとか2度ほど釣行に出たが、いずれもボウズ。
ところで、釣果がないことをボウズと言うが、人によってはオデコとか、近年はホゲるとも言うらしい。
ボウズは昔からある言葉で、つまるところ百人一首の坊主めくりで坊主をめくってしまった状況を指している。といっても坊主めくりをしたことがない現代人の方が多いと思われるのでトランプに置き換えて説明する。プレイヤーは順番に山札からカードを引いて手札を増やしていき、手札の合計点数が多い人が勝ち、というようなシンプルなゲームである。それだけではドラマがないので坊主と姫というスパイスがある。坊主をめくったら手札を全て捨てる。姫をめくったら捨てられている手札を全てもらう。というものだ。そこから転じて、すっからかんになることをボウズと呼ぶのである。ルアーフィッシングが輸入される以前の話であるから、用意した餌がなくなり、代わりの釣果もない、すっからかんなのでボウズというわけだ。
オデコは、なんとなくボウズの派生系なように感じる。昭和のおじさんの戯言から、俺は髪があるからボウズじゃなくてオデコだ、なんて言ってそうな光景が浮かぶ。実際にオデコという言葉を使っている人と会ったことがないので本当のところはわからない。
ホゲるという言葉はもっとわからない。バスフィッシング発祥ではないかとする説を目にしたが、90年代バサーであった私は一度も聞き覚えがない。メタ構文変数のhogeではないかとする説があるようだが、プログラマの知人らが日常会話でhogehoge言ってるのを聞いたことがない。hogeが由来ならば彼らは日常的に無意味なことをhogeと言っていなければ理屈が通らない気がする。
少し調べてみてわかったことがある。放下(ほうげ/ほうか)である。これは執着を捨て去ることを意味する仏教用語である。これなら文法的にしっくりくる。どういうことかというと、ボウズもオデコも名詞であるが、ホゲるは「ホゲそう」とか「ホゲた」などにみられるように動詞なのである。そして放下も「放下する」のように動詞として用いられる。放下ならばボウズの派生系とも考えられるから概念の系譜としても違和感がないように思う。
この仮説が正しいとした場合、実に粋な強がりが浮かび上がってくる。すなわち、ホゲるとは「釣れなかったのではない。釣らなかったのだ」という意味に受け取れるからである。その点を意識すると「ホゲる」「ホゲそう」は受動的でかっこ悪い。いっそのこと「私は放下僧になった」と言い切ってしまうか、目を半眼に開き、一言「ホゲた」と言うのが粋である。