ウェーディング宣言

サーフでの釣りを始めて1ヶ月が経ったが、自分以外にウェーディングしている人を見かけない。まぁ、気持ちはわかる。めんどくさいというか、大袈裟な感じがするし、他にお金をかけたいところもあると思う。

説明しておくと、「水中を歩く」という意味の英単語が「wade」で、それを行うことをウェーディングと呼び、そのための衣服としてウェーダーというものがある。衣服といっても長靴をさらに長く伸ばして胸まで覆うようにしたもので、鮮魚店のオヤジが着ているやつをイメージしてもらえばいいと思う。(厳密には違うが。)


およそ一般的な感覚においては、ウェーダーを着ることには心理的な抵抗が伴うものだ。私もかつて、フライフィッシングでウェーダーを着たのが最初だったが、本格的な装いに胸が高鳴る一方で、どこか気恥ずかしさも感じていた。

ある時、複数人で集まって釣りをしたときに、同行者はウェーダーを大きな袋に入れてバランスを崩しながら持ち運んでいた。私は自宅を出発時にウェーダーを着ていた。スケジュール的にそうした方が良いと考えたからだ。同行者も条件は同じだったはずだが、ウェーダー姿を街場に晒すことに抵抗があったようだ。その日は、渓流を遡上する釣りで、高巻き、藪漕ぎ、すなわち釣りが半分、登山が半分。そういう内容であるから荷物は少しでも減らしたいという心理が働くのだが、恥が打ち勝つこともある。

意外なことにベテランでも恥ずかしいという人はいて、その場合は自身を正当化するためか、ウェーダーで街を歩くなんて迷惑だと非難する声も聞いたことがあったが、私とて濡れたウェーダーで電車に乗ったりコンビニに入ったりすることは許容できない。あくまで釣り人でない人からウェーダー姿を見られることが恥ずかしいか否かという論点を説明すると、その点においては、やはり恥ずかしいと感じる人もいるようだった。


ウェーディングは楽しい。このことを強く主張したいと思う。大人が波と戯れる機会はそうそうない。もしも、お盆休みでもなく、子ども連れでもなく、大人が裸足で波打ち際に立っていたらどうか? 入水しかけているようにしか見えない。ウェーダーにライフジャケット、手には釣り竿、そういう正統派の釣り人ルックでいることは、大人の休息を邪魔されないために必要な準備といえる。

冒頭で触れた通り、私が通っているエリアでは私の他にウェーディングしている人を見かけない。だから、今後にウェーディングしている人が増えてくることがあれば、きっと私の姿を羨ましいと感じたんじゃないかと勝手に思うことにする。いつものサーフおいてはパイオニアの気分になれるわけだ。

最後に一点だけ注意がある。ウェーダー着用時はライフジャケットが必須である。ウェーダーは快適装備であって、安全装備ではない。むしろ危険装備である。ずっと昔に、渓流で同行者が転んだことがある。普通に立てば足がつく場所で、ライフジャケットも着用していたが、その場では体勢を立て直すことはできず流れに身を任せるハメになった。十分に気をつけたい。